やまと(倭)は国のまほろばBlog

美しい国日本を守るため歴史、経済、政治面から社会についての思想的考察を行います

現代日本の絶対的価値観 "金"と"エゴ(個人)"が招く猟奇的殺人

最近若い女性を中心に9名もの人を殺害した男が逮捕され、毎日のように報道されています。この事件は、その残虐性といい20年前1997年に発生した、サカキバラと称する中学生が小学生を殺害した事件と共に、日本の殺人事件のエポックメーキングとなる事件の一つと思います。

20年前の事件は、未成年者が起こした事件と言う事もあり、こういった事を防止できなかった社会の仕組み?が崩壊しているのではないかという事につき議論を呼びましたが、今回のそれは成年者が、現代の代表的なツールのスマホTwitterを使い、人的つながりが薄い多数の人を、金(途中からは欲情?)の為という全くの個人のエゴの下に殺害したという事件で、正に現代を象徴する事件と言っていいでしょう。

 

ymahoroba.hatenablog.com

 

こういった事件が起こるたびに、犯人そのものの精神状態、家庭環境等々様々な分析?がなされますが、一番問題となるべき論点は、

何故丸出しのエゴが実現されてしまうのか。

自身の中で抑制する何かは無いのか。又こういった事件を生み出す社会とは何か。と言うことではないかと考えます。

今回の事件も”金を取るというエゴ”を充足する為に行われた。お金を取るため自殺補助を装い、暴行し殺害する。そして死体をバラバラにし、破棄するなど常軌を逸した行動ですが、そこにはお金を略奪する、暴行するといった個人としてのエゴのみ存在し、逡巡した形跡もなく、ある意味ブレがない。

かつ死体を切断し廃棄するなどまるで物を扱うが如くの行動をしている。

古今東西人間のエゴと残虐性の例に枚挙はなく、中国西太后はライバルの妃を生きながら樽に詰め殺害したとか、毛沢東は自身の保身の為だけに文化大革命を起こし数千万の人民を殺害した。

ただそういった事が起きると、現在の中国の様に集団指導体制が確立したといったように社会的な仕組みなどが考えられてきたのも事実ですが、今回は権力を云々といったレベルの話ではない。

その意味で今回の事件は、絶対的な価値観としての”金”と”個人の自由?”というものがネットを利用して引き起こしたと言えるし、たまたま同時期に報道されている青酸カリを飲ませ老人を殺害し、金を奪ったと言う老女の事件と一脈通ずる事にもなる。現代の若者だから起こした事件などとも言えない。

現代を規定する金と個人の自由?と言う絶対的な価値観を変革し?新しい価値観を創出する事が必要かつ実行出来るのか?

人を傷つけてはいけない、盗んではいけない、うそをついてはいけない。といった当たり前の道徳心ともいうべきものがやすやすと乗り越えられてしまっている。

西部邁さんによると、元々人間の行為に対して規制を施し規範を示すもの、それを道徳といい、それを犯すと社会的に罰をくらうのみならず、その上に構成される法律によって罰せられるという責任が社会では要請される。

しかし個人の自由とかいうものの為に、現代では道徳と言ったレベルの物が破壊され、無くなってしまってきている。 その意味では今後もこういった事件は続き、それを起きた後で刑罰として裁くということしか出来なくなっているのかもしれない。

そもそも個人などは、社会というものがあって存在する概念のはずだが、その片一方が欠落していると言うことを明確に認識し、社会のあり方、それを国と言ってもいいでしょうが、それと個人を再度どう形作ってゆくか。

それを国体というならそういったものを今後どうやって再構築するか真剣に考え、実現してゆかぬと日本と言う国は溶解し、アメリカの属国(今でもそうだが)、もしくは将来?中国の属国として生き延びてゆくしかないのではないでしょうか?