やまと(倭)は国のまほろばBlog

美しい国日本を守るため歴史、経済、政治面から社会についての思想的考察を行います

経済至上主義の中での企業の不祥事

連日神戸製鋼がデータ改竄を行ったということで、その規模も影響も拡大しています。
つい先日も日産自動車が無資格者が点検作業を行い、大きなリコールを発表したばかり
です。

以前も書きましたがここ数年こういった事件が続発して来ています。
それも会社ぐるみで“うそをついていた”と言われても仕方ない内容であり、以前では全く考えられないようなことが多発しています。

旭化成の杭打ちデータ改竄、東洋ゴムの同じく製品データ改竄等々。

 

こういった事件が起こると会社の中では業務のプロセスが見直され、チェック項目を増やす、書類を増やすといった管理を強化すると共に、モラルアップを図ろう。といったモラルハザードにつき云々します。が、1980年代とかには余り起きることがなかったこういう事件が増えている事については、構造的に何かあると考えてゆかないと恐らく解はない。


会社の中で、経済至上主義的に売上や利益を求められている現況を鑑みると、この手の事件が引き起こすであろうブランド価値への影響、又直近の対策費など、こういった事は起こしてはならないし、経営者層、従業員全員にも徹底しているはず・・・
かつこれらが、“うそをつく”ことが厳しく咎められて来た日本の社会に起こっていることを従業員個々人と組織の問題に立ち入って考える必要があります。


端的に言えば、日本の社会、会社から道徳といった物が消えていっている事が大きな問題なのでしょう。では日本の道徳とは一体なにか?
道徳とは西部邁さんが言っているように、宗教と思想を伴うものであり、伝統の中心にある。人間の生は選択の連続であり、あれとこれのいずれを選ぶか、あるいはあれこれをいかに組み合わせるかという作業にあって、価値判断が必要になる。価値判断をより正しいものにし、より上位へと昇らせていくにあたっての精神の平衡術、それが道徳に他ならない。

 

国民の道徳

国民の道徳

 

自分なりに考えると、それはまず天変地異を含め見えない物への畏敬。それに伴う、誰が見ていなくとも真面目にやるという考え方・行動と思います。日本人の宗教観と言ってもいい。
例えば延喜式の『夏越(なごし)の大祓』という祝詞(のりと)に見られるように、昔から日本人は天つ罪、国つ罪と罪を意識してきました。かつ人間は罪を犯す存在ではあるけれど、毎年2回(6、12月)に宮中行事として神の前で罪穢れを祓ってきた。

現在ではそういった事は殆ど忘れ去られてきているが、何かの折に神社に詣で(もうで)、寿ぐ(ことほぐ)事を重要視する日本人の行動に残されています。

又日本人の宗教観を醸成してきている一方の仏教においても、罪を犯すと地獄に落ち、永遠に呵責の責めを受けなかればならない。そうならないよう日本人は日頃祈り、神様の前に許しを乞うてきた。こういった事がどんどん希薄になってきている。

もう一つは、日本語に含まれる「思いやり」「気配り」「譲り合い」といった考え方、分化であり、「英語は愚民化」の著書である施光恒さんによると日本語にはものづくりを支える知的・分化要素があるとされています。その意味でも会社の中では売上、利益、効率、効果といった言葉しか発せられず、その観点からしか物事が考えられないような状況に陥っている。これではいくら会社が管理を徹底した所で、同様の事件がなくなることはないでしょう。

 

ymahoroba.hatenablog.com

 


そしてそれは日本が培ってきたものづくり、メーカーの力をどんどん弱めて行く事に他ならない。アメリカにせよ、イギリスにせよ先進国がものづくりから撤退せざるを得なかった理由の一つがこういった所にあるということもよく検討されなければなりません。

出光の創業者出光佐三さん曰く、日本の道徳は「互譲互助」。道徳とモラルは違う。道徳とは日本語としての物だから。
日本の道徳を少しでも取り戻す事が必要です。その意味では、戦後は会社が一つの社会となり、ある意味日本人の生き方を規定して来たが、それが成り立たないとしたら、これからは家庭、学校、社会でちゃんとした日本語、歴史を学ぶという事を進めてゆくしかない。しかしそれも戦後ある意味みずからどんどん壊してきた。

日本人と日本において今以上厳しい状況はないのかもしれません。
くれぐれも英語化を進めるなんてことをすべきではありませんね。